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静岡の大地(9)浜名湖(二級河川都田川)の源流 2022年2月14日


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二級河川都田川水系。「しずおかの河川と海岸」(静岡県河川砂防局、2018)の一部
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 浜名湖は、河川法上では、二級河川都田川(みやこだがわ)水系都田川として河川指定されている。浜名湖に注ぐすべての河川が、水系では都田川水系の川である。今回はその源流を訪ねることにした。

 浜名湖は、湖の面積では日本で10番目であるが、細江湖(引佐細江)、猪鼻湖、松見ヶ浦、庄内湖という4つの枝湾(水域)を持っており、これらが湖全体の面積の4割を占めている。湖の周囲の長さは日本で3番目、汽水湖としては日本一長い周囲の長さである。近くに存在する佐鳴湖と1つの川(新川)を通して繋がっている。

 JR在来線の駅でいうと、浜名湖に接する駅は、西から鷲津駅、新居町駅、弁天島駅、舞阪駅とあって、その東が浜名湖から離れて髙塚駅、次が浜松駅である。その髙塚駅の近くに『スズキ歴史館』があり、その北方に佐鳴湖があるという位置関係である。水系の流域の東部に位置する新川は、三方原台地に源を発し、台地を浸食しながら佐鳴湖を経由して、沖積層の低い平地を貫流し、浜名湖に流入しており、水系で2番目の流域面積を誇る河川である。

 都田川水系は、今切口から遠州灘へ注ぐ。河川総延長(二級河川指定区間)は166km、流域面積は524km2と、県内最大の流域面積を持つ二級水系である。都田川水系の本川である都田川は、流路延長約50kmで、流域内でも最大の流域面積を持つ。水源は鳶ノ巣山であると一般に認識され、渋川地区以北の源流部では久留米木川と呼ばれている。三岳山地と三方原台地の接合線に沿って西南西に流路をとり、細江町気賀付近で南流する井伊谷川を合流した都田川は、浜名湖北東部の引佐細江湖に流入し、浜名湖を経て今切口から遠州灘に注ぐ。

 都田川には都田川ダム(静岡県浜松市北区引佐町東久留女木/北区引佐町川名)がある。中央遮水式ロックフィルダムである。ダムのある引佐町には、東海地方最大級の鍾乳洞「竜ケ岩洞(りゅうがしどう)」があり、井伊直虎ゆかりの寺、龍潭寺(りょうたんじ)が知られている。春先には引佐町の各地で桜やつつじ祭が開かれる。都田川ダムへは、都田川沿いをさかのぼっていく県道で到着するが、案内標識が少ない。堤体に至る道が狭く、分かりにくい。よくあるようなロックフィルダムであるが、洪水吐(こうずいばき)の位置が山一つ隔てているため、堤体と洪水吐を同一視野に入れることができない。

 都田川ダムは静岡県営の多目的ロックフィルダムである。コンクリートダムで多くのの有名なダムを持つ静岡県であるが、ロックフィルダムはこの都田川ダムも含め4基しかない。このダム湖は別名「いなさ湖」と呼ばれており、両岸に親水公園が整備されていて、親水遊水階段と呼ばれる階段が設置されている。

 都田川の水源があると言われる鳶ノ巣山は、標高706m、南西部に東海自然歩道がある。鳶ノ巣山を北東端の最高地点として、赤石山脈の南側の愛知県豊橋市、新城市と静岡県湖西市、浜松市北区にまたがる山地を、一般に弓張山地と呼ぶ。八名弓張山地(やなゆみはりさんち)とも呼ばれる。南アルプスの南端の山域とされることもある。南アルプスから天竜川で分断されるが、その北東端の境界は明確ではない。一般的には南西に延びる愛知県と静岡県境の弓状に連なる山域であり、太平洋沿岸付近まで約50kmに亘って延びている。南西端の稜線は湖西連峰と呼ばれ、湖西市がハイキングコースを整備している。

 静岡県側には浜名湖や三方原へ向かって広がる山域があり、静岡県ではこれを公式に引佐山地としている。湖北連峰あるいは奥浜名丘陵、引佐丘陵などと呼ばれることもある。南部の一等三角点のある神石山(325 m )から南西に延びる稜線や石巻山の東尾根には、豊橋市により豊橋自然歩道が整備されている。その北麓の葦毛湿原を中心とする山域が、「新花の百名山」に選定されている。また葦毛湿原は、「花の百名山」に選定されている。葦毛湿原と石巻山の周辺は、愛知県の石巻山多米県立自然公園に指定されている。

都田川橋(河童倶楽部提供)

 都田川の主な橋梁は、都田川橋(新東名高速道路)、藤渕橋(国道362号)、新祝田橋(国道257号)、落合橋(静岡県道261号磐田細江線)、曳舟橋(静岡県道49号細江舞阪線)などである。
 都田川橋は、新東名高速道路浜松サービスエリアと浜松いなさジャンクション間にある。都田川の急峻な渓谷に架けられたPC2径間連続エクストラドーズド橋で、中央に高さ56.4 mの橋脚とその上に繋がる主塔が上下線を挟み込むように3基並び、着色ケーブルを用いた斜材と共に、周囲の稜線や深い渓谷に調和したデザインである。東海地震が想定される地震防災対策強化地域に立地することから高耐震性も要求され、施工性、経済性を総合的に考慮して設計された。
 都田川流域全体の特徴として、多くの貴重種を含む生物相の豊かさがある。県内随一と言われている。貴重種に限らず、ヒメボタルやゲンジボタルの乱舞、流水性のトンボ類、イシガメの群に代表されるような水辺に依存する生物の生息密度が高く、多様な生態系を有している。そのため、地域住民の川への関心が強い。

 都田川や井伊谷川に代表される浜名湖北部地域では、平瀬や淵などを好むアユ、オイカワ、淵やゆるい流れなどを好むウグイなどが魚類の典型種としてあげられ、広く分布している。植物では、下流から上流域までヨシやツルヨシなど、抽水植物群落が生育し、これらを利用する爬虫類や鳥類が見られる。

 入出太田川や笠子川などに代表される浜名湖西部地域は、平瀬や淵などを好むアユ、オイカワなどが魚類の典型種としてあげられ、広く分布している。また、笠子川流域では絶滅が危惧されているカワバタモロコ(静岡県 RDB?絶滅危惧ⅠA(平成 27 年4月に静岡県希少野生動植物保護条例の規定に基づく指定希少野生動植物に指定))が確認されているほか、一部河川の中流域では、アカザ(静岡県 RDB?絶滅危惧ⅠB 類)やトウカイコガタスジシマドジョウ(環境省レッドリスト?絶滅危惧ⅠB 類、静岡県 RDB ではスジシマドジョウ小型種東海型(絶滅危惧ⅠB類))が確認されている。植物では、川岸にヨシ、ツルヨシ等の抽水植物群落が生育している。鳥類では、サギ類が生息場、休息場、餌場の一部として利用している。

 新川に代表される東部地域では、汽水環境を好むハゼ類やボラ、緩流を好み止水域などに生息するニゴイ、ギンブナなどが魚類の典型種としてあげられる。鳥類では、カワセミなどが休息場や餌場の一部として利用するほか、両生類ではトノサマガエルの生息も確認されている。植物では、河川上流部でハタベカンガレイ、カワヂシャ群落が繁茂している。

 浜名湖では典型的な魚類として、コノシロ、サッパ、サヨリ、クロダイなどの海産魚の他、ハゼ類やスズキ、ボラなど汽水域に生息する種が分布している。また、浜名湖で注目する必要がある魚類は、干潟の泥底中に生息するチワラスボ(静岡県 RDB?絶滅危惧Ⅱ類)が挙げられ、またかつて記録されたトビハゼ(静岡県 RDB?絶滅危惧ⅠA 類)やヒモハゼ(静岡県RDB?絶滅危惧Ⅱ類)は、現在情報が不足しており、見られなくなっている。植物では、湖岸にヨシ原が繁茂するとともに、ミクリが確認されている。鳥類では、チゴモズ(静岡県 RDB?絶滅危惧ⅠA 類)などのほかヨシゴイ、ミゾゴイ等の絶滅危惧ⅠB 類(静岡県 RDB)の生息が確認されている。昆虫類はベッコウトンボ(静岡県 RDB?絶滅危惧ⅠA類)が確認されている。陸?淡水産貝類については、ある程度の塩分濃度が必要で、淡水では生息できないウスコミミガイ(静岡県 RDB?絶滅危惧ⅠA 類)や、干潟にはアサリなどの二枚貝が確認されている。

ぜんな甘露煮

 水系の最下流部に浜名湖がある。猪鼻湖、引佐細江湖などと併せて面積が日本の太平洋側では最大の汽水湖である。天竜川からの漂砂が砂州となって湾の入口を塞いでできた海跡湖である。湖の南部は水深1~2m、広く砂が分布し、湖の北部では深さを増し、泥が広く分布している。今切口で遠州灘と繋がり、潮汐の影響が浜名湖全域に及び、塩分濃度は汽水湖としては高い。陸水の流入や外海からの津波や高潮に対して緩衝帯としての重要な役割を果たしている。

 浜名湖には漁港がたくさんある。新居(浜名)漁港、鷲津漁港、入出漁港、村櫛漁港、舞阪漁港などがある。例えば入出漁港では、コノシロ、ヘダイ、ヒラレイワシ、マハゼ、ヒイラギ(ぜんな)、セイゴ、アイゴなど、小魚の水揚げが多く、漁港の近くの佃煮屋では、 ヒイラギ(ぜんな)の甘露煮を売っている。
ヒイラギ(ぜんな)の甘露煮が珍しいので、少し調べてみた分かったことがある。私が子どもの時、高知市天神町の家の近くに鏡川という潮入川があって、浦戸湾に注いでいた。そこで釣れるのがニロギという小魚であった。このニロギがまさにヒイラギであるということがわかった。ヒイラギの呼び名がどこかで変化してニロギになったにちがいない。このニロギは小骨が多いが、一日干して焼いて酢付けにすると頭ごと食べることができてとても美味しい。ヒイラギ(鮗、柊)は、スズキ目ヒイラギ科に分類される魚の一種で、東アジア温帯域の内湾や汽水域に多い小型魚である。日本では西日本各地で多種多様な地方名で呼ばれ、地域によっては食用にすると説明にあった。

浜名湖周辺の地質:シームレス地質図より(産総研地質調査総合センター)
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171:後期更新世(Q3)の中位段丘堆積物(川沿いのやや高い所に分布している約15万年前~7万年前に形成された段丘層)
57:前-後期ジュラ紀(J1-3)の付加コンプレックスのチャートブロック(石炭紀-中期ジュラ紀(約2億年前~1億4600万年前)に付加したチャートという岩石(ガラスと類似の成分))
 静岡県西部、浜名湖と浜松市の間にある台地が三方原台地である。洪積台地(こうせきだいち)で、東西10km、南北15kmに広がり、標高は25~110mほどである。天竜川の扇状地が隆起したもので、今から1万年以上前に平野であった場所が、長い時間をかけて、河川の流れに削り込まれ、残りの部分が台地になった。

 1572(元亀3)年、武田信玄と徳川家康は三方原台地で戦い、信玄の勝利に終わり、負けた家康は、命からがら浜松城に逃げもどった。これが「三方ヶ原の戦い」である。その戦いに関連した言い伝えが地名とともに残っている。私たちはその場所を訪ねることにした。

 その日は、まず浜松市中区上島1丁目の昭和楽器製造株式会社を訪ねた。1947年に創業したハーモニカ製造販売の会社で、創業当時より、手作業による心を込めた製品づくりを心がけている工房である。21穴複音ハーモニカ、15穴シングルハーモニカ、フルハーモニカ、ミニハーモニカなど、多くの種類のハーモニカを揃えている。1時間ほど会社の歴史などの説明を受け、自分で調律済みの真鍮のリード版をつかって組み立て作業を行って吹いてみるという体験ができた。ご家族が静岡県立大学を卒業されたと聞いて話がはずんだ。

ハーモニカの組み立て体験をする尾池学長


 昭和楽器製造株式会社から西へ行った場所に、「小豆餅(あずきもち)」という地名と「銭取(ぜにとり)」という旧小字名(現在は通称地名)がある。家康が「三方ヶ原の戦い」で武田信玄に敗けて逃げる途中、腹が減ってどうしようもなかったとき、茶屋に立ち寄って食べたのが「小豆餅」であり、たいへんうまかったというのであるが、食べている途中で、武田軍の追手が迫ってきて、小豆餅の代金を支払わずに慌てて馬に乗って逃げた。ところが茶屋の老婆が、それを走って追いかけ、追いついて代金を取り立てたという。その銭を取った場所が「銭取」と呼ばれるようになった。言い伝えには諸説があるが、一説によると家康は3つ目を食べている途中で逃げたという。

小豆餅

 小豆餅の名のある場所は上に述べた佐鳴湖の北東の端からその源流を辿り、さらに北東へ行った場所にある。
 佐鳴湖の源流の一つは権現谷川と言われており、それを上流に辿ると川の西側に三嶋神社がある。そこから数百メートル上流の住宅地の中から水が湧き出している。権現谷川から東へ1.2kmほどの場所には静岡大学の浜松キャンパスがあり、佐鳴湖から東へ500mの所には蜆塚遺跡、さらに2kmで浜松城という位置関係である。

(左)三嶋神社より権現谷川上流をみる (右)佐鳴湖の水門側からの眺め

 蜆塚公園は、国指定史跡蜆塚遺跡を中心とする公園で、蜆塚遺跡は、縄文時代後期から晩期(約4,000~3,000 年前)の村の跡である。中央の広場を囲んで住居跡や墓地が並び貝塚も4ヶ所で見つかっている。そのうちの1つは発掘調査当時のまま保存され、ガラス越しに貝殻の堆積やその間にある動物の骨や遺物を観察できる。当時の姿を想像して建てられた復元家屋もあり、西の一角には、村櫛町から移築された江戸時代の民家「旧高山家住宅」もある。

 ところで、家康の食い逃げの言い伝えは、実際は後世の創作で、実際には三方ヶ原の戦いでの死者を弔うためこの地に餅を供える習慣が続いたことが地名の由来であると言われる。私たちは、佐鳴湖を訪問したとき、小豆餅を浜松市東区有玉北町の「御菓子司あおい」で買って、昼食を浜松市中区小豆餅3丁目の「うなぎ藤田」で浜名湖産の鰻を堪能した。その後、「銭取」の地名を探したが、道ばたに「銭取まんじゅう跡→」という標識が立っているだけで特別の痕跡は見つからなかった。


尾池 和夫


下記は、大学外のサイトです。

20万分の1シームレス地質図(産総研地質調査総合センター)
https://gbank.gsj.jp/seamless/seamless2015/2d/

河童倶楽部
http://kappaclub50.web.fc2.com/

静岡新聞「まんが静岡のDNA」の記事でも静岡の大地を紹介しました。
https://www.at-s.com/news/article/featured/culture_life/kenritsudai_column/700397.html?lbl=849

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